キモ・オタクの日々

ジャニオタの独り言

舞台「赤シャツ」感想 多面的に物語を見ること

f:id:kattuaras:20210927182251j:plainこんにちは、キモオタです。自担である松島聡くん出演の舞台、「赤シャツ」を見てきました。一言で言えば、めちゃくちゃ面白かった。以下引用するセリフはうろ覚えのものですので、悪しからず。

原作「坊っちゃん」では、赤シャツはうらなりの婚約者のマドンナを奪い、邪魔になったうらなりを遠くの学校に飛ばし、さらには坊っちゃん山嵐を貶めようとしたとされ、それはそれは卑怯な男として描かれています。しかし、本当は違った。……のかもしれない。というのがこの「赤シャツ」なのですが、こういうお話って割とよくあると思うんですよね。敵役から見た物語は一体どのようなものだったのか、という形式のお話。RPGDLCとかで付いてるの、だいたいそういう話。(雑なたとえ)

随分と偉そうな物言いとなってしまうのですが、そういう話を色々と見てきた側からすると、この「赤シャツ」という舞台は、物凄く丁寧に赤シャツと坊っちゃんに向き合っている脚本だなと感じたのです。

だいたいそういう、敵側からの物語というのは「実はこの敵はいい人だった!訳があって仕方なくこんなことをしなきゃいけなかったんだ!」といった調子で、敵役へのヘイトをなぜか正義側(要するに主人公側)に向けるようなストーリーが多く散見されます。しかし、赤シャツは違いました。

「赤シャツ」を見終えた今の時点でも、赤シャツが「いい人」だとは私は思えません。優柔不断で、親譲りの八方美人で、卑怯な男。それが私の「赤シャツ」を通して見た赤シャツという男です。坊っちゃんを読んでいる方なら分かると思うのですが、これって坊っちゃんを読んで感じる赤シャツの印象と、そんなに相違ありません。

坊っちゃんに対する印象も変わりませんでした。粗暴で、親譲りの無鉄砲で、嫌になるくらいまっすぐな男。良くも悪くもまっすぐすぎる男。「坊っちゃん」における正義側の人間。いや、そもそも彼の行ったことはただの暴力であり、正義とは言えないのですが。正義の鉄槌を下したぞ!   と坊っちゃん自身は思っているのでしょう。

少し話がずれました。要するに私は正義側、敵側、どちらの印象も大きくは変えることなく、敵側のストーリーを描くことにこの舞台は成功している、ということが言いたいのです。なぜなのか。やはり、赤シャツの弟、武右衛門の存在が大きいと思います。

武右衛門という存在。それは、「坊っちゃん」という物語を既に知っている観客の代弁者だと、私は思うのです。武右衛門は兄である赤シャツに猜疑心と嫌悪を抱いており、序盤から何度も赤シャツと衝突をします。

赤シャツがマドンナを奪ったという噂を鵜呑みにして、赤シャツの弁解を全く聞こうともしない。第二幕の山場、赤シャツが執心する芸者の小鈴の姿を見て「この人は誰ですか。(マドンナを妻にしてこの芸者を)お妾さんにするつもりですか」と責める。その後、赤シャツと殴り合う。後半、赤シャツが坊っちゃん山嵐に殴られたという話を聞いて、いい気味だとでも言いたげに笑みを浮かべ、「制裁が下ったんでしょう」と言い放つ。

他にも登場シーンは沢山ありましたが、とりあえず印象的だった武右衛門のシーンをずらりと並べてみました。これらのシーン。「坊っちゃん」の物語を知っている「私たち」が赤シャツという人物に抱くのと、だいたい同じような感情を彼が抱いているようには見えませんか?

坊っちゃん」を読み終えた読者は武右衛門と同様に、赤シャツに対して好感情は持っていないはずです。作品内で、嫌な人物として描かれていますから、当然といえば当然。この時点で、観客と武右衛門は非常に近い立ち位置であると言えるでしょう。

先程私は坊っちゃんは正義側だが正義とは言えない、と述べましたが、「坊っちゃん」を読んでいくと、赤シャツと野だいこを殴るシーンはかなり爽快です。明治版スカッとジャパンと言ってもいいでしょう、本当にスッキリとするのです。まさに「制裁が下ったんだ!」というような気持ちになるのです。実際、私は赤シャツが殴られたと知らせを聞いた時、武右衛門が少し口角を上げるのを見て、「そりゃそうなるわ」と共感をしたのです。「制裁が下った」というセリフにも「この弟は酷いなぁ」ではなく、「ほんとそう」と思いました。

武右衛門のセリフは全体的に観客の共感を呼ぶ。代弁者である彼がいることで、山嵐坊っちゃんが「嫌な奴」への転換をすることなく、赤シャツ側の様々な事情を描くことに成功している、というのが私の見解です。でも、これ松島担の欲目かもしれない。できるだけ客観的に書いているつもりですが。

ここまでの長い駄文を読んでくださった方(いるのか?)は私が赤シャツが嫌いなのだろうか、あの物語を見ても赤シャツに同情しないのか、と少し疑問に思うでしょう。結論から言ってしまえば、私は赤シャツのことは嫌いではありませんが、赤シャツに同情はできません。

自分は誤解されること、決めつけられることに腹を立てる割には、彼もまたマドンナに対してある種の「決めつけ」をしていることが言葉の端々からうかがえます。例えば、第一幕後半、うらなりと赤シャツが書斎で対話する場面。「あの女は私の名誉しか見ていないのです。あんな女はあなたに相応しくない」と赤シャツはうらなりに向かって言います。また、第二幕後半、小鈴との対話でも「(マドンナは)帝大卒なら誰でもいいんだろう」といったようなことを口にします。しかし、マドンナがただ赤シャツの名誉だけに興味があったのか、はたまた本当に赤シャツを心から愛していたのか、最後までマドンナの口から語られることはありません。真実は分からないのです。

坊っちゃん」における赤シャツの立場、つまり敵役。「赤シャツ」においてのマドンナがそれに対応すると私は考えています。敵側の物語にスポットをあてた「赤シャツ」での敵役ポジションとしてマドンナ……「赤シャツ」での赤シャツのように、彼女に彼女なりの事情があったのでは、単純に名誉のある人間と結婚したいというだけではなかったのでは。そう思わずにはいられません。

私たちは古くから、勧善懲悪の物語に親しんできており、子供向けアニメなどもだいたい勧善懲悪もので、「悪は成敗しても良い」という思考に囚われがちであると思います。フィクションであろうと、ノンフィクションであろうと。しかし、果たしてそれは「正しい」のか?   それを改めて考えさせられるような舞台でした。

あとほんとに聡ちゃんかわいい。パントマイムも上手かったです。ほんとにかわいい。かわいい。武右衛門くんのアクスタ欲しい。

以上です。